2009年7月1日水曜日

江戸川アパートメント

色校正のため飯田橋にある印刷会社へ行きました。
その会社の斜め向かいはタイル張りの巨大なマンション。そこにはかつて江戸川アパートメントが建っていました。僕は芸大に通っていた6年間とその前後で計8年間ほど、建替えで立退くまで江戸川アパートメントに住んでいたのです。もう8年くらい前のことです。飯田橋から池袋へ向かう途中の首都高速から、ビルの合間を通して敷地が一瞬見えま す。それで建物が無くなったときや建替え後の様子はチラリと見ていました。でも新しくなったその場所に直接訪れたのは今回が初めてでした。

1934年に竣工し、近代的な設備と様式で東洋一と言われた江戸川アパートメント。2000坪の敷地にコの字型(6階建て)とI型(4階建て)の棟が向かい合って、広い中庭を囲っていました。総戸数は260戸。僕が引越してきた時は、実際に入居しているのは100戸くらいと聞いた気がします。中庭はジャングル。。
僕は3階と6階に1部屋ずつ借りていました。3階はアトリエ、6階は寝室です。移動時間は2分くらい。トイレは5階にある掃除の行き届いた広い公衆トイレを使っていました。そこはパーティションの素材が大理石でつくられていて、建設当時の威容を偲ばせます。お風呂は地下にアパート専用の広い大浴場があり、週4日(火木土日) 営業していたので、そこを使いました。食事については、当時の僕は完全に外食だったので、近所の神楽坂へ。その頃は自分の部屋のなかで何かを食べることはありませんでした。どうでも良いことですが、飲み物はOKです。

そんな調子で、生活機能が断片化してあちこちにあるような感じでした。例えば普段は3階にいて、食事の時は外へでます。それで部屋に戻って来て、お風呂に入ろうと思うとシャンプーなどのお風呂セットを6階へ取りに行き、それから地下の浴場へ。お風呂から出ると6階へ戻ります。ちょっと休んで再度3階へ。作業をして眠くなったら6階へ。。。もちろん6階に着く頃には目が覚めます。朝起きると6階にある共用の洗面所で顔を洗いました。残念ながら水しかでないので冬場は辛いです。ちなみにエレベータもあるのですが第二次世界大戦前に止まってしまったそうで、上下移動はもっぱら階段でした。屋上階に洗濯室があって、広い屋上からは東京タワー、サンシャイン60、東京都庁舎が見えました。全部ギリギリ見える感じですけど。



写真は3階のアトリエの様子です。学部時代の最大イベントである卒業設計の提出日の翌日の写真なので、この上なく荒れてますね(笑)。A2サイズのインクジェットプリンタでロール状の長いドローイングを出力したのですが、手間取った様子が机の上に残ってます。卒業設計の時は2週間くらいの間、8畳くらいの部屋に3台のブラウン管モニターを置いて、男6人(僕+5人の優秀なお手伝い)が詰め込まれていました。